便乗デパート

2018/07/06

夫の仕事に便乗して、神戸に行ってきました。

夫は仕事へ、私はデパートへ。

そういえば、神戸で初のデパート~ということで、お目当てのところへまっしぐら!と

行きたいところですが、ロクシタンを素通りできず、

ハンドクリームをあれこれ塗って。香りに悩み、ここは帰りにしよう、と

お目当ての場所へ。

お目当ての場所って…シャネル。

そのデパートには服や靴を扱うシャネルもありますが、私はそこには用はなく、

きっとあちらも私に用はないでしょうが、

コスメカウンターでうっとり…とした時間をまた過ごしてきました。

ココシャインの秋限定がまだ残っているかのチェックに行き、

限定は残っていましたが、思っていたのと違ったので、購入せず。

紙袋を持たずに出てきました!と言いたいところですが、

買ってしまいました。

シャネルはデパートでしか買わないし、

デパートには年に数回しか行かないし…と自己弁護。

隣のカウンターではシャネルの高い化粧水を3本と

高いクリームを買っているおばさまがいらっしゃって、

私が払うわけでもないのに眩暈がした。

限定アイシャドウを全部買っている人も…。

対応してくれたシャネルのお姉さん、よくいえば気さくで、

悪く言えば、なんだかなにもかもが雑。

デパートっていうのは、もっとこう無駄に丁寧な接客をされて、

セレブ気分を味わうところ、という思いで来たのでちょっと残念。

限定リップを「試されますか~?」と聞かれ、

「お願いします~」と言ったら、そのまま上から塗られた。

ええ?!まずはつけている口紅を落として、リップクリームつけて、

それからでしょ?と呆気にとられた。

仕事が終わった夫が迎えに来てくれる前、

夫はついでに同じデパートで腕時計を見てきたらしい。

「ここは値段がついてないで!!」と言ってました。

アラブと一緒で値段は店員さんの気持ち次第ってやつやで!と。

そんなわけないでしょ!ここ、デパートだから正札販売でしょう。

ちょっと私が確認してこよう、と思ったら「とって食われる!」とそのまま

帰ることになった。

結果、ロクシタンのハンドクリームを買い損ねたのが無念。

ピオニーのハンドクリーム、とってもいい匂いだったのに。

限定のアーモンドフラワーも捨てがたかった。

右手にピオニー、左手にアーモンドフラワーをつけたので、

残り香で癒されてます。

デパートの出口にと~ってもいい匂いのする素敵な石けん屋さんがあった。

時間のあるときに、今度はここに一番に寄ろう!と決意しましたが、

次はいつになるやら。

何を今更、と思われる方もいるでしょうか。
かの有名な上橋菜穂子さんによる『守り人シリーズ』を今回紹介させていただきます。
かの作品はいわゆるファンタジー作品というものです。

ファンタジーとは非常に「人間表現」的な作品だとお思うのです。

例えば、それには「現実には存在しない世界を読者に克明に伝えていかなければならない」という点がそれに大きく関わると思うのです。
「学校の教室」と聞いて、皆さんはどんな場所を思い起こすでしょうか。
綺麗に整頓されたいくつもの机でしょうか。黒板でしょうか。あるいは、授業真剣に聞く生徒、静かにしなさいと注意を促す先生。
先生はどんな先生でしょう。男の先生? 女の先生? 怖い先生、優しそうな先生。

ちょっと待ってください。

「学校の教室」に机があると誰が言いましたか? 黒板が、生徒が、先生がある、もしくはいると誰が言ったでしょう。
「学校」とは勉強する場所であり、勉強をするためには「机」があり、「生徒」というのは授業を真剣に聞いて(あるいは聞かなくて)、「先生」は注意をする。
「学校」という言葉があれば、私たちはある程度共通の世界観を共有できます。
もちろんそれは私たちで全く同一の世界観ではなく、読む人によっては全く別の学校を想起すると思います。
裏山があってたまに児童、あるいは生徒が放課後に遊びに行く学校、街の中で車がビュンビュン道路を走っていて不注意な生徒が道路を飛び出してあわやという目にあい、親から怒られることもある学校。
その自由な世界観が読者の楽しみであり、小説の真髄だと私も思います。

さて、皆さんに質問します。
「シグ・サルア」と聞いて、何を思い浮かべますか? あるいは「チャグム」。
どちらも私たちには耳馴染みのない言葉です。でないなら、実は一方が人名で、もう一方が花の名前と誰が気づくでしょうか。
どちらが花の名前か。それは、シグ・サルアです。
どんな花でしょうか。
一文を引用させていただくなら

小さな花の見かけからは想像がつかないほど、たっぷりとした蜜が、喉を伝って落ちていった。
精霊の守り人 (新潮文庫)より引用
この文から私が思い浮かべるなら、ホトケノザでしょうか。小学生の時、おそらく一度はみなさんも口に含んだことがあるだろう、あれです。
想像以上に甘く、内心驚いたのを思い出します。
ということは、シグ・サルアはホトケノザだろうか?
ホトケノザはピンク色の花ですよね。
私は、シグ・サルアは白い花だと思いました。
可憐で弱々しく、儚げな白い小さな花。
単語だけではわからず、本を読んだ時、初めてそれがどんなものかわかる。
私はこれは、単語だけでは縛られない、鳥のように自由な想像力を私たちに与えてくれるファンタジー独特の能力だと思います。

こんな不思議で未知に溢れた世界の住民たちはどんな人々なのでしょうか。
不思議なことに、描かれた人間は決して私たちと全く異なった人間ではないのです。

考え方は違うのか。
えぇ。考え方は違います。

容姿は違うのか。
もちろん。個性的なキャラクターがいっぱい登場します。

社会のルールも、価値観も、食べるものに至るまで異なります。

しかし、決して全く異なった人間ではないのです。
それはある種、他のすべてを異なったものとすることによって初めて浮き彫りにされた、文字通り「浮き彫り」にされた人間本来の姿が見えてくるからではないでしょうか。

私が、初めの方で「人間表現的」という言葉を使ったのはそれが由来です。
あまりに人間的な異世界の人間たちを描くことがファンタジーの真骨頂であり、それを楽しむことがファンタジーの極みだと思うのは私だけではないはず。

恩田陸さんは解説の方で次のように書いていらっしゃいます。

C.S.ルイスやトールキンがどちらも文学や言語学の学者だったというのは決して偶然ではない。彼らは、世界の秩序を俯瞰したい、理解したい、自分なりの言葉で解明したいという動機があったからこそ、後世に読み継がれる傑作を残せたのではないだろうか。
精霊の守り人 (新潮文庫)解説より引用
文学は実学だ、という高校の現代文学の先生の初めの授業を思い出しました。

私たちはこの作品から何を学べるのだろうか。
そんなことは考えなくていいのです。
ただ、ありのままの「人間」、赤裸々な「人間」を見て、自分の「人間らしさ」を見つめ直すのも、1つの「ファンタジー」の楽しみだと思います。

精霊の守り人 (新潮文庫)

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listen

2018/07/06

listenは、通信する相手からの接続の待ち受けを開始するUNIXシステムコール・・・。

Man page of LISTEN

バインドしたソケットをこれに渡すことで、相手からの接続を待ち受ける・・・。
接続は1つずつ受付処理されるので、2番目以降は保留となり待ち行列を形成する・・・。
この待ち行列の大きさを表すのが第2引数・・・。

さっそくlistenしてみる・・・。

ソケットを作成し、socに格納・・・。

アドレス情報をaddrに設定し、socにバインド・・・。

socを使ってリッスン(待ち受け開始)する・・・。

戻り値が-1でなければ成功なので、"listen success."と出力・・・。

$ ./listen
soc = 3
bind success.
listen success.
$

リッスンできた・・・。

Sample/listen.c at master · bg1bgst333/Sample · GitHub

39.

2018/07/03

f:id:h-hisashi:20160304145853j:plain

 

昨日、サッカー日本代表の試合があったんだよね。

 

まあほとんどの方が知ってるかもしれないけど。

 

ロシアワールドカップ出場を懸けた大一番。

 

勝てば出場決定っていう状況。

 

もうこの時点で燃えてたね。

 

サッカー好きの俺としては。

 

そして、結果は2-0で日本の勝利。

 

若手の活躍もあって、無事ワールドカップ出場決定。

 

最高だったね。

 

気持ち入ってるの見えたし、すげえいい試合だった。

 

 

それを見てふと思ったことが。

 

人をあそこまで一喜一憂させるモノって、そうそうないのではないか、と。

 

色んなスポーツとか、イベントとかあるけどさ。

 

あそこまでドキドキしたり、ハラハラしたり、喜んだり、悲しんだりできるモノってなかなかないじゃん。

 

やってる側も見てる側も感情がむき出しになるもんなんだよね。

 

そして、そこで輝いた選手たちは日本中から賞賛される。

 

こんなん俺もやりたいって思って。

 

自分のやってることに日本中や世界中を注目させ、人を一喜一憂させるようなことを。

 

途方もない目標みたいに思われるかもしれないけど、どうすればスポーツ以外でそれができるのかってのを考えてます。

 

実現できたらすげえ面白そうだなあ。

 

とりあえず、サッカー日本代表の勝利を祝おう。

古山です。

今の季節、ツバキの葉に毛虫が群れになってついていることがあります。チャド
クガの幼虫です。触ると、人間の皮膚がかぶれるので嫌われています。

昨日、うちの門のそばにあるツバキの木で、見つけた見つけた。
まだ、小さい。しめしめ。
たった葉一枚に、みんな集まっているので、簡単に一網打尽にできます。

葉の縁に、みなさんの頭を揃えてずらりの並んでいる。
よくまあ、並んだものです。
並んで、葉っぱをむしゃむしゃ食べてる。

みていると、はぐれたのが列の端にやってきて、きちんと頭をそろえて列に加わ
る。なるほどねえ、こうやって列ができるんだ。
またやってきて、並ぶ。
へええ、見ていておもしろいですねえ。

子どもの頃を想いだしました。
こういうふうに、動物や虫を見ているのが大好きだったのです。
動く様子を見ているのが、ほんとに楽しいんです。

アリが、巣の中から小さな土の塊を運び出しては置いていく。
別なアリが、どこかから、虫の死骸を引っ張ってきて巣の中に運び込む。

夕方になるとオニグモが、おしりから糸をだしながららせん状に回って、巣を張
っている。

私が幼稚園のころだと思います。ディズニーの「砂漠は生きている」という映画
が来て、親に映画館に連れて行ってもらいました。これは映画体験のなかでも生
涯最高の感動だったと、今でも思います。

砂の中に、バーッと潜ってしまうスナネズミ。
パパッと動いてはピタっと止まるトカゲ。
そんな動きがおもしろくておもしろくてたまりませんでした。

あんなふうに動いたよ。
あんなふうに食べているよ。
あれ、飛んだ。
あれ、隠れた。

そんなことが、飽きずに見ていられます。
子どもに特有の能力だと思います。2歳の子でも、ダンゴムシがいたと大喜びし
て、歩く様子を眺め、つついたら丸くなるのをおもしろがっています。

大人になって、知識で生きるようになってから、このように生き物をおもしろが
れることがどれほど大事なことか実感できるようになりました。

「そういうふうに生きていること自体がおもしろい」
この感覚が大事なのです。

大人らしい大人になってしまってからだと、瞑想とかヨガとか、そんなものを使
ってやっとこせ取り戻せる感覚。


生き物全般に対して感じるものですが、特に、人間に対して「あんな人だ。あん
なふうに生きている。おもしろおい。へええええ、ほおおおお、きゃっきゃっ」

それが、他者に対する寛容と理解の基盤なのです。
あるいは、自分の中にうごめくものの観察の基盤でもあります。


子どもが生物の生きざまをおもしろがる力は、大人から支援しやすいものです。
大人が共感してくれると、子どもの中にあるものがエネルギーを持ち、ふくらん
でいくのです。
「あれがいたよ。あんなことしてるよ」と一緒になっておもしろがるだけ。

ほら、ほら、歩いているよ。

ほら、ほら、葉っぱをむしゃむしゃ食べてるよ。




*************************
古山明男

卒論をやっていると憂鬱になります。扱っている題材が「貧困」の問題である以上、仕方のないことではあります。「違う題材を選べば良かったかな?」なんて今更言ってもどうにもならない疑問さえ浮上しています。いや、しかしやらなければなりませんね。

そういえば昨日、僕の友人が6浪を経て大学に入学したという知らせを聞きました。しばらく連絡を取っていなかった(取れなかった)ので、どうしたものかと心配していたのでホッとしています。良かった。

その友人は、僕と浪人時代を共にしていたのですが「経済的な理由」により大学進学を断念しました。どうも親の借金が1500万円ほどあったと聞いています。当時、僕はこのことに衝撃を受けて「僕が大学に行って良いんだろうか」と自問した記憶をいまでも覚えています。大学に入ってからもその疑問は心に残り続けました。なぜ?どうして?僕ではくて彼なのだろう?そういった疑問です。この疑問に答えるべく、僕は「子どもの貧困」をテーマに扱うことになり、そして4年の間、そのことばかり考えています。

彼は、勉強をしながらアルバイトで月20万を稼ぎ、コツコツと教育費を貯めていたそうです。僕には到底持ちえないであろう忍耐力と意志の力強さを感じます。ですが、みんな誰しも彼のようになれるか?と言われれば疑問です。それはほんの一部ですし、多くの貧困者(と言ったら彼に失礼なのですが)は、夢や将来を諦めることが多いようです。しかしながら、どうも彼のようなどん底から這い上がるようなサクセスストーリーは受験産業や映画・自伝によって何度も何度も繰り返し生産されてきたように思います。その結果、「努力すれば私もより良い教育を受け、より良い企業に勤め、より良い人生を送れる」という希望を抱かせるようになりました。2000年代から見てみますと、「リトル・ダンサー」が該当するように思います。

リトル・ダンサー [DVD]

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主人公のビリー・エリエットはイギリス北部の炭鉱町に住んでいます。両親は労働者階級で、経済的にも苦しい。エリエットの親は彼をボクサーにしようとしますが、バレエ教室が開かれることを知った彼はそれに参加。そのころがきっかけとなり、彼はダンサーとして成功を手にします。ここで描かれるのは「貧乏であっても能力があり、努力すれば成功する」というストーリーです。

他にも「ドラゴン桜」や「オール1の落ちこぼれ、教師になる」といったものもそうです。

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 (これは、本当に素晴らしい本です)

これらは繰り返し繰り返し人々に「努力次第でどうにでもなる」という価値観を与えます。もちろん、どん底から這い上がるストーリーが問題だとは僕は思っていません。ビリー・エリエット君や宮本延春さんの人生を否定することは誰にもできません。ですが、ここで問題としたいのは「誰もが努力すれば、彼らのようになることができる」という価値観を持ってしまったために、その裏に隠された固定化されている両親の社会的地位や階級・経済力に目が向けられにくくなるということです。成功するまでのプロセスには、多くの不平等や不公平が存在しているのにも関わらず「努力が足りない」「怠けている」といった言葉で、貧しい家庭に育った子どもや青年を自己責任に付すというのは、非情ではないだろうか。と僕は思います。それに加えて、制約の中で子どもたちがどのような進路選択をするのかは重要な問題であり、しかも、制約によって進路選択が狭められてしまっていることについて目を向ける必要があると思います。このことについてグラスゴー大学の教授であるアンディ・フォーロングとフレッド・カートメルはこのように述べています。

社会構造上の資源の活用を時に意識的に、時に無意識的におこなうが自分の行動をとりまく状況や利用している資源、活動を妨げている障壁についてその全てを知り得ている人はいない。しかし、通常故人は自分が活用できる資源や自分が直面している障壁について部分的には気付いている。そして、経験したできごとや経歴から自分の人生に十分な意味と一貫性を与えるように、合理化というある種の歪みを付与してしまうことも避けがたくある 「若者と社会変容」p21

そして、子どもたちの生の声を拾い集めた「子どもの貧困と社会的排除」という本にはこのような言及が見られました。

子どもたちはまた、自分の親の経済状況についてかなり自覚的であった。場合によっては、自分自身のニーズや希望を自制することで、親を貧困の影響から守ろうとしている子どももいた。p217

本書の後半には、子どもたちが親の経済状況を自覚し自分の進路を選択していることについて書かれていた。

給付金を受給している子どもたちは、ほかの子どもたちよりも16歳で就職する可能性が高くなるだろうと考えていることであった。

親が貧困世帯であると自覚している子どもは、親に迷惑をかけないようにと自分自身の希望を自制あるいは断念し、家庭に負担を与えない進路を選択する。これは、グラスゴー大学の教授が指摘するところの「直面している障壁を部分的に理解」し「人生を合理化」させようとするものである(自分で書いて置きながら、何を言いたいのかさっぱり分からん)

ざっくばらんに言うと、子どもや青年は親の状況を見て進路や人生を選択する。ということですね。で、そうせざるを得なかった人たちに対して「自己責任」として片づけてしまうのは非情だよね、というこです。ちょっと長くなりました(そうなると読むのがかったるくなる)いつか、続きを書こうかと思います。頭ではわかっているのに、いざ書こうとするとあちこちで論理的飛躍が起こりますね...もうすこし訓練が必要なようです。

 

なんか偉そうになってしまいました。そういうつもりはないんですが...「貧困」ってとてもセンシティブな問題ですから書いている方も、書かれている方も嫌な思いをするんですよね....。

 

研究のためのリスト

刈谷剛彦

大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書)

階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ

ウルリヒ・ベック

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

アンディ・ファーロング/フレッド・カートメル

若者と社会変容―リスク社会を生きる

テス・リッジ

子どもの貧困と社会的排除

 

 

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今回はガーデンスタイル。
小さな庭を作るイメージ。

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(花)
チューリップ
セネシオ
スイートピー
ムスカリ
アルストロメリア
マトリョーシカ

共学高校のゲンジツ

▷ジャンル ギャグ 学園 ラブコメ
▷作者 さぬいゆう 伊丹澄一
▷出版社 小学館
▷発売 2013年6月

あらすじ

煮え切らない系ラブコメ、季節は夏へ!チャンスなら転がっている!!
ちょっとだけドキドキする……でも、進展しない!!
盛り上がりそうで盛り上がらない毎日を悶々と過ごす男女の人間模様を描く、
全く新しい草食系恋愛コメディー。
作者は創作系同人誌即売会で絶大な人気を誇るサークルItamiWorksの伊丹澄一とさぬいゆう。
第2集では魅力的なキャラクターもドンドン増えて、煮え切らない学園生活はますます充実!?

感想

どんな話かなって気になるタイトルだったので読みました!

日常系で共学高校のあるあるネタですね。
青春あるあるでもありますね。
ほのぼのとした日常です。

高校の時ってなんかこんな感じの期待とかしたなぁーってある意味高1病じゃないか?
そんなジャンルを確立出来そうなくらい、あるあるに溢れている事に気付かされる漫画ですね!
たまに中2病ひきずってる内容もまざりますけどw

知らず知らずのうちに出会い、恋愛フラグを潰している話のとこ好きでした
ゲンジツというタイトルですが、実際にはこんなことあんまりないでしょうね・・・
いや絶対ないでしょうね・・・